2021年12月

2021年12月28日

かわいいを着る


 スーパー銭湯の浴室清掃は朝六時から始まる。永遠に続くと思われた残暑はもう見る影もなく、浴室のタイルの冷たさが冬の到来を告げている。つい先日まで「暑いねえ」「やんなっちゃうねえ」とこぼしていたおばちゃん清掃員たちも、「寒いねえ」「やんなっちゃうねえ」と自らの体を抱くように縮こまって清掃道具をかき集めている。もう春も秋もなくなってしまうんじゃないか。そんなことを考えながら、僕は冷えた足をサンダルに滑り込ませた。
 ホースリールを蛇口に繋ぐ。ホースを引っ張り出したら先端のノズルをまわして水形を決める。直線状に放水して、浴室の壁を流して回る。壁にぶつかり跳ね返る水しぶきが朝陽を反射して七色に光った。
 ふとした瞬間にきれいなものが立ち現れる日々を、悪くない、と思えるようになったのは、この仕事を始めてからだ。週刊誌の編集部で働く傍ら、清掃バイトをこなすのは体力的にしんどいけれど、その分、得るものがあると実感している。冷たい虹の粒を顔で受けながら、「よし」と声に出して気合を入れた。

「もう全身ユニクロで十分ですよ」
 清掃を終えてひと風呂いただき、脱衣所で着替えていると、主任はヒートテックに腕を通しながら独り言ちた。ユニクロを着ている人はまるで判を押したようにそう言うのはなぜだろう。実際、安くて機能的なユニクロの服は過不足なくてよい。僕も夏はエアリズムに、冬はヒートテックに甘えている。
 でも、十分でいいのだろうか。十二分であってほしいものだってあるのではないか。僕は今日一日を共に過ごす洋服にこそ十二分に満たされたい。
「そうですね」と答えることで「でも」を飲み込んだ。
「最近はだいたい黒を着ます」と主任は続けて、こちらの反応を待っている。どうしてですか、と先を促してみた。
「ラーメン屋に行くと汁がはねるでしょう。それを気にしていてはラーメンの味に集中できません。つまり、ラーメンをおいしくいただくには、汁がはねても気にならない黒を着て行くべきなんですよ」
 以前、お気に入りの白いTシャツをラーメンで汚してしまったことを主任は今でも悔いている。「キン肉スグルですよ。大事にしていたキン肉マンTシャツだったんです」と鼻息荒く主任は続ける。そこまでキン肉マンが好きなら例に挙げるのはラーメンじゃなくて牛丼だろう、と心の中で突っ込みながら、「残念でしたね」と適当に相槌を打った。
 それにしても、これは一体何の話をしているのか。どこに向かっているのだろう、と考えていたら、「じゃあ、また次回よろしくお願いします」といきなり終わった。いつもの強制終了だ。着替えを済ませた主任は満足げな足取りで、のっしのっしと脱衣所を出ていった。ひとつだけわかったのは、主任はラーメンを十二分に楽しむために黒を着るということ。洋服よりもラーメンのほうが優先順位は高い。僕とは大事にしているものが違う、ただそれだけのことだ。

 もしアイツがここにいたら、「わからないな」と主任から目を背けただろうか。わからないことを知るきっかけは日々こんなにも溢れているのに。スーパー銭湯の目の前を流れる鶴見川の川面はいつにも増して黒い。これから雨が降るのかもしれない。ひんやりと湿った川風に煙草の着火を邪魔されながら、僕は就職活動の苦い記憶を思い出していた。

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「今この場にいる面接官の中で一番オシャレだと思う人を指さしてください」
 成田と名乗る副編集長が声を張る。
 内定を一つももらえないまま大学を卒業してしまった僕は、まだファッション誌の編集者になる夢を諦め切れず、転職情報誌で見つけた「未経験歓迎」の求人広告に飛びついた。書類審査を通過したあとに待っていたのが、このグループ面接。狭い会議室には、面接官として男性編集者が五人、入部志望者は僕を含めて三人いた。
 面接を取り仕切る成田はさも自信ありげに長髪をかき上げる。額には「俺を選べ」と書いてあるように見えた。そんな彼と以前から交流があるらしい一人の応募者は、きっちりと空気を読み、「成田さんです」と迷いなく言った。成田は満足そうな笑みを浮かべながら、「おお、そうかそうか。どういうところが?」とさらに欲しがる。のっけから醜い現場だった。
 続いてもう一人の応募者が、前ならえで成田を選ぶ。コム・デ・ギャルソンの話で意気投合する二人を見ながら、僕は拳にじっとりと滲む汗を握った。もう帰りたい。
 では次の方、と促されて我に返る。僕の番だ。
 成田を選びたくない。オシャレかどうこう以前に、たぶん人としてクソの類いだ。でも流れ的に、もう彼を選ぶしか道がない。この質問に対する正解は間違いなく「成田さんです」だ。
 僕は、はい、と意を決して前を向き、成田の隣で眠たそうにうつむいて座る人を指さした。
「ええ!? なんで長谷部なの!? ダサくない!?」と成田は不満を露わにした。周りの人が「おいおい、言い過ぎだろう」とヘラヘラとたしなめている。
 長谷部さんは、メタリカのサードアルバム『メタル・マスター(Master of Puppets)』がプリントされたTシャツを着ていた。長年愛用しているのか、襟ぐりはだるんと伸びている。黒がかすれて灰色になったジーンズも、足元の黒のジャックパーセルも、全体的にやれている。でも、その人によくなじんでいた。左腕にしたロレックスのサブマリーナーが、ファッションが好きであることをさりげなく主張していた。
 洋服を見ると、その人が自分を大事にしているかどうかがわかる。身に着けるものをきちんと選ぼうとすると、自分の好みはもちろんのこと、体型や顔つきに肌の色味、長所や短所、これまで目を背けていたコンプレックスとも向き合うことになる。それらを乗り越えて、似合うものを選び取ることこそ「オシャレをする」という行為なのであって、「オシャレなもの」を身にまとうのとはわけが違う。洋服を着て気分が上がるのは、きっと自分を制した高揚感から来るものだと思う。
 長谷部さんは自らを熟知した服の選び方をしている。一方、成田の洋服は、他の応募者二人が言う通り、きっとオシャレなブランドのものであるのは間違いない。でも、彼はオシャレなものを着た、ただのマネキンだ。洋服を知っていても自分を知らない。洋服は見ていても人間を見ていない。
 成田は不服そうにこちらをにらみながら、「わからないな」と一蹴した。後日届いた不採用通知は「クソが」と丸めてゴミ箱に放った。

 清掃を終えたその足で編集部に向かう。無機質なエレベーター、IDカードをタッチしないと開かない扉、蛍光灯の寒々しい昼光色。ビルはいつも冷たく質実剛健だ。
 パソコンを立ち上げると、ひと晩で溜まった仕事のメールが黒く太字で強調されていてうんざりする。見なかったことにしよう、と一旦席を立ち喫煙所に入る。
 灰色の煙を、ふうと吐く。あんなに白かった喫煙所の壁はもう黄ばんでいて、蹴飛ばしたような足跡がたくさんついている。二脚あったカウンター椅子はもう一脚しかなく、その一本足はぐにゃりとひん曲がっている。ものを乱雑に扱う喫煙者がいるのだな、と溜息をつくようにもう一度煙を吐いた。
 喫煙所に入ってきた経理部の女性が「そのスモックかわいいですね」と褒めてくれた。「はい、百年前のフランスで羊飼いが着ていた仕事着なんです」と照れ隠しで蘊蓄を述べる。
 僕は本当に、かわいい服が好きなのだ。首に沿うようにカーブした立ち襟。いたるところに寄せられたギャザーと、それらがつくる洋服の丸みとAライン。手縫いのボタンホールなど手仕事の痕跡があたたかい。高密度のリネン地は周囲の風を取り込んでふわりと揺れる。このインディゴリネンスモックは洋服を構成するすべてがかわいい。
 でも、心のどこかで「かわいい」と言われることに抵抗感を覚える僕がいる。否定されたような気持ちになる。刷り込まれた「男なら男らしく」という時代遅れの理想像は、黒く滲んだ染みとなって、今なお素直に生きることを阻んでいる。

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 僕は今、二〇世紀初頭のフランスの古着を好んで着ている。それにはまるきっかけとなった店が、フランスの古着を専門に扱う「メル」だ。下北沢駅の西口からほど近い雑居ビルの二階に店をかまえている。店内に足を踏み入れると、天井から吊るされたさまざまな古い衣類に圧倒される。百年の時を経て現存するアンティークの数々は、見るものを黙らせる迫力があった。
 中でもシャツが特徴的で、着丈は膝が隠れるくらい長い。「グランパシャツ」「スモックシャツ」などと呼ばれるそれは、見る人によっては女性もののワンピースにしか見えないだろう。袖口やヨークに寄せられた無数のギャザーはとてもきれいな生地のまるみを生む。当時の男性が着ていた服ではあるけれど、現代のものにはあまり見られないかわいらしさが随所に光っている。
「メル」で初めてシャツを試着したとき、僕は姿見を前に思わず「かわいい」とこぼした。隣でそれを見ていた店員の村井さんは、「ですよね」と笑顔で同意してくれた。彼女が着た白いワンピースは、レースと刺繍がまるで雨上がりの朝露に光る蜘蛛の巣のように繊細で美しかった。
 かわいい、と声に出すつもりはなかった。でも、こぼれた。そのことが恥ずかしくて、「男性よりも女性が着たほうが似合いそうですね」と言い訳めいたことを言って、元いた試着室に逃げ込んだ。一灯のオレンジ色の間接照明がぎりぎり視界を保つ薄暗い試着室。あらためてその中の鏡でシャツを着た自分を見る。正面を向き、プリーツ仕立てのブザムを映したあと、横を向いて、側面の深く入ったスリットを眺める。やっぱりかわいい。
「これ、買います」とシャツを彼女に渡す。「ありがとうございます。とてもお似合いでしたよ」と言いレジに向かう彼女の後ろをついていく。
 シャツを丁寧にたたみながら、村井さんはこちらを見るでもなく、言った。
「男性がかわいくてもいいし、女性がかっこよくてもいいと思うんです。だって、自由に好きなものを着たほうが楽しいじゃないですか」
 僕は今でもその言葉を大事にしている。「かわいいものが好き」とはまだ堂々と言えずにいるけれど、かわいいものに惹かれる自分を肯定することはできている。
 自ら選んでいるはずのものが実は何かの圧を受けて選ばされている、なんてことがままある。それに気づかず生きる道もあるけれど、気づいてしまったからには抗いたい。尺度はそれぞれの自分の手の中にある。その物差しを人に向けることなく自らを計り、丈を合わせていけたらいいなと思う。
 村井さんはもうずいぶん前に店を辞めて「メル」にはいないけれど、好きなものを自由に着た彼女の、晴れやかで清々しい顔は鮮明に覚えている。自分で自分を満たした人の強さが顔を明るく発光させていた。洋服を着る、それは自信をまとうということなのだ。

 編集部の喫煙所を出て再び席につく。「よし」と声に出して、スリープ状態のパソコンをエンターキーで起こしてやる。僕はきょうも自由を着ている。メールの返信を済ませ、首にまいた赤い水玉のスカーフを少しきつめに締め直した。

初出/『こもれび』(こだま、高石智一)
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作家・こだま、編集者・高石智一が「好きなもの」を題材に書いた全六篇のエッセイ集『こもれび』は本屋lighthouseで発売中





takaishimasita at 16:00|PermalinkComments(0)清潔な人々 

2021年12月15日

おじさんだらけのサウナ集会


 みんながみんなを知っている集落の、やけに来客の多い家に生まれた。引っ込み思案で人見知りの激しい僕は玄関のチャイムが鳴るたびに跳ね起きた。母の背後にまだ小さな身を潜め、エプロンの裾をぎゅっと掴んで出迎えると、「ぼっちゃん、きょうもかくれんぼかい」と客は言い、とれたての野菜をたくさん置いて帰っていった。ずっとずっと隠れていたかった。母はいつだって僕の盾だった。

「テントサウナに参加しませんか」
 ダイレクトメッセージの送り主は、ツイッターで相互フォローの、でも会ったことはないジローさんだった。サウナの好みが自分と似ているな、と前々から勝手に親近感を覚えていた人だ。
 テントサウナとは、みんなでキャンプ場に集まってテントを張り、その中で薪ストーブを焚いて即席サウナを味わうというもの。ストーブの上で石を焼けば、水をかけてロウリュを楽しむことができる。キャンプ場近くの川や湖が水風呂代わりになる。合間にバーベキューをするもよし、好きな音楽を流しながらリクライニングチェアでうたた寝したっていい。大自然の中で自由を満喫するアウトドアサウナは、温浴施設のそれとはまた違う魅力に溢れており、利用人口は急速に増えている。
 テントサウナ自体は仕事で何度か体験したことはあったものの、プライベートではまだない。だからジローさんからの誘いはとてもうれしかった。でも同時に、いつもの不安が腹の底から湧いてくる。
「おまえみたいな根暗がみんなとうまくやれんのかよ。人見知りはそこらへんのサウナにひとりで行ってりゃいいんだよ」
 もう一人の自分が耳元で口悪く囁いた。いつだってそうだ。何かをしようとするとき、「やめとけ、やめとけ」と足を引っ張るのは自分なのだ。
 その声を払い除けるように、頭を右に左にぶんぶんと振ってからキーボードを打つ。
「ありがとうございます。ぜひ参加いたします」
 消極的な性格を克服できないまま大人になってしまった。おじさんと呼ばれるような年齢になれば、もっと鈍感に、図太く生きられるものだと思っていたが、そんなことはなかった。相変わらず傷つきやすく、情緒だって安定しない。正直なところ、変わることはもうあきらめている。変わろうとすること自体、これまでの自分を否定するようで嫌なのだ。でも、せめてそういう場を避けることだけはやめようと決めている。かくれんぼをしても鬼は来ず、見つけられないまま取り残されてしまうのだから。
 後日、「裏・秋祭り」という名前のグループDMが立ち上がる。メンバーはゆうに20人を超えていた。もともとは、世田谷でヘアーサロンを営む美容師トンベさんが毎年11月、コンビニの駐車場で「地域のためのテントサウナ祭り」を開催していた。それがコロナ禍で中止になってしまい、悲しみに暮れるトンベさんに「何もないのは寂しいし、どこかでテントサウナをやりませんか?」と声をかけたのがジローさんだった。二人はそれぞれ周囲のサウナ好きに呼びかけ、「裏・秋祭り」と題するテントサウナの集会を開くことにした。2020年に第一回が催され、今年がその二回目となる。
 トンベさんが営むヘアーサロンは、サウナ好きたちがこぞって通う店として知られている。「サウナ好き割引」なんておかしなことをやっているヘアーサロンは日本でここだけだと思う。僕も最近はトンベさんに髪を切ってもらっている。カットの腕がいいのはもちろんだが、それ以上に、一か月に一度サウナの話をしにお邪魔する場所として気に入っている。そんな縁もあって、今回のお祭りに声がかかったのだろう。
 グループDMで、みんなが次々と参加表明を書き込んでいく中、僕も「参加します。楽しみです」と打って退路を断った。「あ~あ、後悔しても知らねーぞ」と、もう一人の自分は吐き捨ててどこかへ消えた。

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 赤色、黄色、褐色と、フロントガラスの向こうの山々がきれいに紅葉している。誰かが丁寧にちぎり絵をしたみたいに立体的で、触れずともその柔らかい手触りが伝わってくる。葉が色づくのは、植物学的にはただの老化反応に過ぎないらしいが、老いて散る直前がこんなにも美しいなんて奇跡だと思う。
「あっ、もうみんな着いてるみたいですね」
 景色に見惚れていた僕はトンベさんの声で我に返る。
 テントサウナ祭りの会場は、神奈川県と山梨県の県境にある両国橋キャンプ場。世田谷でトンベさんの車に拾ってもらってからおよそ二時間で着いた。両国橋の下の川縁にはテントの設営を始めている人たちが見える。
どん、どどん。聴こえるはずのない祭り太鼓が肺の空洞を打って揺らした。

 車を降りて駐車場の砂利を踏む。右手には水着とガウンを、左手にはタオルと勇気を持って深呼吸する。おはようございます、お疲れ様です、とすれ違う人たちと会社みたいな挨拶を交わして、川辺に続く坂道を下った。河原に荷物を置いて手が空くと、途端に不安感が増す。周りを見渡してもほとんどが知らない顔だ。ツイッターのアカウント名を名札にして胸につけてくれたらたすかるのにな。そんなことを考えながら、あたりに顔見知りを探した。
 錦糸町の人気サウナ、ニューウイングの吉田支配人を見つけてほっとする。相変わらず顔色が悪く、食べごろのなすびみたいだ。忙しいだろうけれど、ちゃんと睡眠を取ってほしい。
 会社員でありながら週末は熱波師として活躍する宇田蒸気さんもいた。仏みたいな穏やかさでいつも周りを和ませている。蒸気という名前も彼の温かい笑顔にふさわしい。
 ほかにも、熱波師という仕事に着目したビジネス本を出版したばかりのヨモギダさんや、サウナ室で座禅イベントを行う僧侶のでんぼうさんら、会って話したことがある人は五人くらいだった。
「はじめまして」と話しかけられて振り向くと、腹筋がバキバキに割れた男が立っていた。
「ジローと言います」
 ツイッターではいつも居酒屋のおいしそうな肴を投稿しているジローさんの腹筋がこんなにもバキバキだったなんて。サラリーマンの体じゃない、アスリートのそれだ。サウナマニアにして筋トレマニアでもあるらしい。ツイッターはあくまでその人の一側面に過ぎないのだと思い知った。それでも、「お会いしたかったです」という言葉が素直に口を突いて出て、そんな自分に驚いた。緊張が徐々にほぐれていく。何かを無理に話そうとしなくとも、本心は勝手に零れ出るのかもしれない。
 気づけばテントの設営はあらかた終わっていた。ロシア製のテント「Mobiba」が一張と「MORZH」が二張。あと、北極圏仕様の大型テント「Terma-44」と、山梨サ活倶楽部というチームが運営するオリジナルテント「Enthalpy3」(通称・煉獄)。計五張のテントサウナが、悠々たる青空に向けていっせいに煙を吐き出した。すぐ脇には道志川がゆっくりと流れている。エメラルドグリーンの川面を色とりどりの葉がたゆたい通り過ぎていく。
 早くもサウナを楽しむ水着のおじさんたちがいる。テントから飛び出し、我先にと川に体を浸していく。恍惚の表情は太陽の光を受けてやけにまぶしい。
 僕も負けじと、ささっと着替えてテントに滑り込んだ。薪の焼けるいい匂いがする。ベンチに座り、桶から汲んだ水をストーブ上の石にかけると、じゅじゅっといい音が鳴る。蒸気がじんわり降ってくるのを冷えた肌で味わっていく。これこれ、と思う。二の腕にはまるで雨後の蓮葉の上のように玉の汗が転がっていた。
「なんだよこれ、すげー熱いじゃん」と言って出ていく吉田さんの後を追う。川に分け入り、流されないように両手で川底を掴んで体を浮かせると、視界は青一色になる。さやさやと流れる川の水は耳に入って膜を張り、心地いい無音を連れてきた。椅子に体をあずけて秋風を浴びる。目に映るすべてがまぶしくて思わず目をつむった。

「これから熱波やりま~す」という声に誘われ、今度はTerma-44に向かう。
 テント自体も通常の三倍くらいあるが、なかに置かれたストーブもまた見たことのない大きさで、その迫力は注連縄を張り巡らせたご神木そのものだった。熱波師の宇田さんは、ストーブの上で熱せられた石にアロマ水をかけ、発生した蒸気を大きなタオルを使って攪拌していく。テントの上部にたまった熱はタオルによってゆっくり下りてきて、僕らの体感温度を一気に上げた。
 さらに宇田さんは、ひとりひとり順番にタオルを扇いで風を送る。熱風が体にぶつかり弾けて飛んだ。「ありがとうございました」と彼は深々と頭を下げ、みんなの拍手を受けながら退場した。
「アウグース、やっぱいいかも」と誰かが言った。ここ最近、タオルをくるくる回すだけの“パフォーマンス熱波”が注目を集めている。なかにはそれに興ざめし、温浴施設での熱波イベントを避ける者もいる。「やっぱいいかも」は、遠ざかった者が思わず零した本心だった。
 本来、サウナ室にいる客のために温度や湿度を調整するのが熱波師の仕事だった。それがいつのまにかピザを回すピザ職人のようにタオルを回す者たちが現われた。当然、見た目に派手なショウは多くの人の目を引いた。彼らはまるでサウナ室の主役であるかのように舞い踊り、熱を静かに楽しみたい僕らは置き去りになった。ショウをしたい人がいて、そのショウを楽しむ人がいるのはわかっている。でも、サウナ室にいるときくらい主役でいさせてくれないか。これだけ端役をやって生きてきたのだから。
 そんなことを考えていたら、テント内には人がほとんどいなくなっていた。ふと横を向くと、隣のベンチに、見るからに人がよさそうな巨漢が座っている。なんとなく、あの人のような気がして、「ブログ、いつも読んでいます」という言葉を用意したうえで訊ねてみた。
「もしかして、ふちうさんですか」
「いや、違います。ちくわぶです。元ティンコです」
 全然違った。しかもティンコだった。
「ティンコさん、あのティンコさんですか」と思わず連呼してしまう。男性器の名称を面白がってしまうのは小さな頃から変わっていない。
 もっと攻撃的で鋭利な人かと思っていたけれど、とても穏やかに静かに語る姿が印象に残った。ツイッターと現実はイコールではない。部分的に重なり合っているだけだ。現実では誰もティンコと名乗らない。

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 ガウンを羽織り、河原をふらふら歩いていると、「そろそろ煉獄、行きましょうか」とトンベさんから声がかかる。「あれはやばい」と髪を切るたびに聞かされていた、あの煉獄だ。
 山梨サ活倶楽部が“断熱こそ正義! 情熱を温度へ”をコンセプトに自作した、日本一熱いテントサウナがEnthalpy3、通称・煉獄だ。テント自体は市販のものだが、断熱効果を高めるために布を二重にして、あいだにダウンジャケットの要領で綿を詰めてある。さらに薪ストーブにはオートロウリュ機能まで実装している。「テント内のセンサーで温度と湿度を計測して、そこからエンタルピー(空気中の熱含量を表す指標)を計算。その数値によって水がサウナストーンに自動的に落ちるようになっています」と山梨サ活倶楽部のはまさんが説明してくれたが、とっさに理解できるわけもなく、「へえ、すごいですね」と返すのが精いっぱいだった。「鬼滅が流行るより先に名乗っていたのに、流行りに乗った名前みたいになっちゃってちょっと恥ずかしいですね」とはまさんは笑っていたが、実際に入ってみると笑えないくらい熱かった。いや、熱すぎて笑ってしまった。
 煉獄はその熱さもさることながら、テント内では地べたに座る“座サウナ”や、寝転がってくつろぐ“寝サウナ”も魅力だ。テントサウナの床は土や砂利がむき出しであることがほとんどで、そこに椅子を置いて座るのが一般的だが、煉獄はマットを敷き詰めてある。ふかふかのマットのうえで胡坐をかいたり横になったりできる。体勢を低くしても十分熱く汗をかけるのが煉獄のすごさだ。「やばいっしょ」とトンベさんが笑う。「やばいっすね」と僕は返す。乱暴な言葉はあまり好きではないけれど、煉獄を形容するには「やばい」以上にふさわしい言葉が見つからなかった。
 はまさんは「断熱マニアなんですよ」と言って、照れたように微笑んだ。世界には本当にいろんなマニアがいるらしい。何を話していてもずっと笑顔だったはまさんが、「あれ、温度下がっちゃってますね」と不調に気づいたときだけ笑顔じゃなかったのがみょうにこわかった。たぶん変態の類いだろう。
 彼によると、「煉獄」は本来「状態」なのだという。
 キリスト教カトリックでは、小さな罪を犯した者がその罪を炎によって清めながら天国に行くのを待つ場所・状態を「煉獄」と呼ぶ。それは天国と地獄のあいだにあるとされている。
 人は大なり小なり罪を犯し、誰かを傷つけ生きている。サウナに入ったからと言ってそれらを浄化できるはずもないけれど、汚い自分と向き合う時間にはなると思っている。現実から逃れ、それでも苦しむ反省房としてサウナに通う僕にとって「煉獄」はぴったりの名前だった。僕はとても弱いから、これからも快楽を享受しながら反省し、懺悔する。

 川縁に腰かけて煙草を吸う。あたりを見回すと、珈琲を淹れてふるまう者がいれば、シートを敷いた上に正座してお茶を点てている者もいる。タオルを振って熱波の練習をする者や、持参したピザをどう焼いたらいいかわからず四苦八苦する者も。思い思いに自由を満喫するおじさんたちがいる。人はこんなにも自然に笑うのだ。おじさんと聞くと、会社で苦虫を嚙みつぶしたような顔をして働く中年を想像する人も多かろう。おじさんになって久しい僕も、眉間の皺が深く刻まれて消えやしない。それでもこうやって笑って、笑い皺を増やしていけたらいいなと思うのだ。
「気づいちゃったんだけど、ここにいる人たちってみんなニューウイングに来なくなった人たちじゃん」と、吉田さんは自嘲気味に笑った。言われてみれば確かにそうだ。ブームになる以前からコアなサウナ好きに愛されていた錦糸町のニューウイングは、気づけば誰もが知る人気施設となり、その混雑を避けるように遠ざかった人たちが今ここに集まっている。積極的ではない、むしろ消極的な連帯が居心地の良さを生むことだってあるのだ。
 陽が傾くのを合図に、それぞれが片づけを始める。テントはあっという間にバラされ、そこにはまるで何事もなかったかのように更地になっていた。夢を見ていたのかもしれない。
 僕は、ようやくそこで、あまり人と話していないことに気がついた。挨拶すら交わしていない人もいる。でも同時に、それどころじゃないくらい楽しかったのだ、これでいいと、水着を脱ぎながら今日を噛みしめた。夕陽が紅葉をさらに赤く染めていた。

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「このまえテントサウナに行ってきたんですよ」と、アルバイトをしているスーパー銭湯の井上主任に報告する。人見知りですが全然大丈夫でした、楽しめました、と続けて言うと、「自ら人見知りって言う人は、相手に『自分は人見知りなので気を遣ってくれ』と言っているようなものでよくない」とバッサリ斬られた。
 確かにそうだ。人見知りであることを言い訳のように、盾にして生きてきた。でもそれは相手に矛を突き付ける行為だったのかもしれない。鬼の目が届かない場所に、得意になって隠れていたけれど、鬼はとっとと見つけたかったはずだし、僕だって本当はもっと早く見つけてほしかった。
 人生も下り坂に入り、苦手なものを克服する気力は湧かなくとも、苦手なものがある自分を一つずつ受け入れていきたい。掴んで隠れる母や、そのエプロンがない分、僕には今サウナがある。サウナについては自然に話せる。好きなものを持つと人は強くなるのだと実感できたのは「裏・秋祭り」の大きな収穫だった。両国橋キャンプ場で僕は自らのポケットに両手を突っ込み、スレキをぎゅっと掴んで立っていた。
「みんな自己評価が高すぎるんですよ。できることなんて何もない。人ひとりができることなんてたかが知れている。そう思って生きていれば大きな傷を負わずに済みますよ」
 主任はそう言って立ち上がると、水風呂で濡れた体を拭きながら浴室を出ていった。
 清掃を終えたばかりの湯船がお湯で満たされていく。きょうの日替わり湯はヘルスビューティーの入浴剤「紅葉狩り」だ。真っ赤に色づく湯船はぐつぐつと、地獄のように気持ち良さそうだった。



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