2021年10月

2021年10月15日

気仙沼の守り神

「3階まで津波が来たのよ」と言う女将の後をついて民宿の館内を見て回る。3階の窓からすぐそこに見える海は凪いでいる。民宿と海のあいだには防潮堤が建設途中だ。女将は真新しいコンクリートの塊を指さし、「あれ、ちょっと低すぎるのよね」と冗談を言うみたいに笑った。

 2011年3月11日、午後2時46分。東日本大震災。
 その日、その時間に僕は東京・浜松町の編集部にいた。ビルはぐにゃりと大きく揺れ、机に積み上げていた本やゲラは一気に崩れ落ちた。女性たちの悲鳴がフロアに響き渡る。咥えていた煙草を慌ててもみ消し窓の外を見ると、お台場のほうが赤く燃えていた。間もなくテレビには灰色の波が街を飲み込む映像が映し出され、この揺れがただ事ではないことを証明していた。
 あれからもう10年が経ったのだ。

 被災地である宮城県気仙沼市。唐桑半島に民宿「つなかん」はある。その建物の隣には「サウナトースター」という車両を改造したサウナが置かれており、愛好家がこぞって訪れている。
「みんなで『つなかん』行きませんか」
 そう誘ってくれたのは、山形に暮らすサウナ好きのご夫婦だった。「ブタゴリくん」「がんこちゃん」という名前でTwitterにいる。編集を担当したサウナ漫画『湯遊ワンダーランド』で取材したときからの付き合いで、かれこれ3年になる。2人はすでに「つなかん」に泊まったことがあり、「女将の一代(いちよ)さんに会ってみてほしい」とのことだった。同漫画の作者であるまんきつさんに声を掛け、4人で「つなかん」に行くことになった。
 仙台駅から車で1時間半。ブタゴリくんの運転に身を任せ、助手席からぼーっと外を眺めていると、ふと案内標識が目に留まる。石巻。気仙沼。陸前高田。訪れたことはないけれど、どれも知っている。何度も耳にした、忘れようもない地名だ。
 山間からのぞく海は太陽の光をちらちらと反射している。目の前に迫る鮮やかなブルーと、10年前にテレビ越しに見た荒ぶるグレーが同じものとは思えない。
「きれい」
 そう言おうとして、やめた。

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「つなかん」に着いたのはもう夕方だった。車から降りると女将がこちらに駆けてくる。
「一代さん、ただいま」
「おかえり、ブタゴリくん」
 玄関の立て看板にも大きく「おかえりなさい」と書かれている。帰ってくる者とそれを歓迎する女将がいる。偽りなくそういう場所なのだと、2人の笑顔を見て思った。
 館内をひと通り案内してもらったあと、居間で腰を下ろす。一代さんが挨拶もそこそこに、「チョウラクって何?」と僕のTシャツにプリントされた二文字に突っ込んできたので、「『兆楽』は渋谷にある有名な中華屋です」と答えた。兆楽の隣にある「個室サウナ」は実はソープランドで、という余計な情報は省いて、「中華屋とジャーナルスタンダードがコラボして作ったのがこのTシャツなんです」と付け加えた。
「いいわね~、私もコラボしたいね~」
 一代さんは適当な相槌を返してくる。そんなに興味はさそうだ。でも、その適当さが心地いい。会話に中身なんてなくていい。呼吸を合わす。リズムをとる。その程度でいいのだ。
「みんな疲れたでしょう。ちょっとくつろいだらサウナに入っといでよ。そのあいだに夕飯の用意しちゃうからさ」
 一代さんは早口に言うと台所のほうへ引っ込んだ。居間と台所を仕切る扉を貫通して「兆楽さんも楽しんでって~」という声が聞こえる。僕は帰るまでずっと「兆楽さん」だった。

 ブタゴリくんは手際よくストーブに薪をくべてサウナを温めていく。ものの30分で、そこは汗を絞り出すには十分の熱さになっていた。男性陣はサウナパンツ一丁になり、女性陣は水着に着替えて、我先にとサウナになだれ込んだ。
 パチリパチリと薪の爆ぜる音を聴きながら分厚い熱に包まれる。乾燥ヴィヒタを浸しておいたバケツから水を掬い、ストーブの上で熱せられた石にかける。ジュジュッと音を立てて立ち上った蒸気が、いい香りとともに降り注ぐ。気持ちいい。
 サウナ室内に時計はなく、何分入っていたかはわからない。でも頃合いだ、と外に出て、山水を掛け流す浴槽に身体を沈める。体温がもとに戻っていくのを感じる。瞼の筋力が緩む。視界がとろけていく。
 浴槽からあがったら、一代さんが昨日新調したばかりだという椅子に身をあずけてみる。背の山からはヒグラシの鳴く声が聴こえてくる。潮風が肌をやさしく撫でて通り過ぎた。目を開けて空を仰ぐと、光の塵が舞っている。
 ブタゴリくんが持参した山形特産の梅シロップを、炭酸水で割って飲みながら思う。これはたぶん夏かもしれない。

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 夕食の時間に合わせてサウナを切り上げ、居間に戻った。
「生牡蠣のパフォーマンスやっちゃうよ~」
 一代さんが、たくさんの牡蠣を載せた大皿を運んでくる。そして牡蠣むきナイフを殻と殻の間にさして華麗に開けていく。ぷるん、とクリーム色の大きな身が現われ、思わず生唾を飲んだ。もったいない。しばらく見ていたい。でも早く味わいたいという欲求には抗えず、生牡蠣3つを啜って食べた。
 テーブルには次々に料理が運ばれてくる。牡蠣のバター焼きにフライ、鮪の尾の肉や卵の煮つけ、ほやの酢漬け、刺身の盛り合わせ、鰹のあらを使った味噌汁。味付けをどうこう評するほどのグルメではないけれど、その素材がすべて新鮮であることは口に入れた瞬間にわかった。
 かつて一度口にして「受け入れがたい」と避けてきた、あのほやだって食べることができたのだ。一代さんもそれを見て喜んでくれた。これがウィンウィンだ。
「うめぇ」
「うまっ」
「うめっ」
「うまー」
 4人がそれぞれ夢中で食べた。みんな「うめぇ」しか言わない。人はおいしいものを前に言葉を失う。語彙力を奪われる。箸と皿があたる音と、バラエティ番組の雑音がうっすら流れる静かな食卓。沈黙に気まずさを覚えることなく、むしろ居心地よく共有できたことがうれしかった。
「ぶっ」
 ブタゴリくんの屁が静寂を破る。
「おいゴリラ」
 がんこちゃんがすかさず突っ込む。
 このやりとり、今日で何度目だろう。二人の息はいつもぴったり合っていた。

「サウナ好きの人たちって本当によく食べるよね」
 空になった皿を片づけていく一代さんを、満腹で動けない僕らはただじっと見ていた。
 一代さんはもともと牡蠣の養殖業で生計を立てていた。だが、東日本大震災の津波によって養殖設備をすべて流され、自宅は屋根と軸組しか残らなかった。失意に暮れ、一度は家を取り壊そうとも考えたが、そのとき、震災ボランティアとして唐桑に来ていた大学生らに頼まれ、自宅を寝泊り場所として開放した。それをきっかけに、家を修繕して、この民宿を始めることにしたのだという。
 一代さんはそのときの心境をこう振り返る。
「ぜ~んぶ流されて、本当は笑う元気も何もなかったんさ。でも、頑張ってる震災ボランティアの若い子たちを前にして、私は笑うしかなかったんだよね」
 深くは聞かなかった。人の心に土足であがるようなまねはしたくない。当事者にしかわからない、想像を絶する悲しみを味わったのだろうし、それに対して「大変だったでしょう」なんて言葉は軽すぎる。
 それでも――。

 その日の夜、再びサウナに入る。サウナトースターには照明器具がついていないが、ストーブの中で燃える薪がちょうどいい仄暗さを与えている。
 昼間の明るさは僕らにたくさんのものを見せてくれる。でも、情報量が多すぎて大事なものを隠してしまっている気がする。この炎の美しさや満天の星。家の窓に灯るオレンジ色のぬくもり。あと、本当の自分自身と、その感情。夜の闇に立ってこそ見えるものって確かにある。
「津波でほとんど全壊家を修復したあと、まず感激したのが掃除機をかけたときだったの。掃除機かけられる!窓も拭ける!って。だって壁も床もなんにもなかったんだから。家があるって、そういうことなんだよね」
 一代さんは絶望の淵に立ち、その暗闇で、僕らの知らない景色を見たのだと思う。
 よく喋り、よく笑う、今この瞬間の一代さんしか僕は知らない。過去を知ったつもりで勝手に寄り添うつもりはない。
 でも、何かしたいと思った。何かできるんじゃないかと思った。ここの、一代さんがいる「つなかん」の今を文章にする。記録として残す。誰かに繋げていく。一代さんがしているのも、たぶんそういうことだと思うから。

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 サウナのおかげか、あっという間に眠りに落ちて、あっという間に朝が来た。
 朝食前にサウナに入ろうと、ケータイのアラームを6時にセットしていたのに寝坊した。5分おきのスヌーズ機能は全く役に立たなかった。
「起きてるかい?」と、すでにサウナを済ませたまんきつさんに起こされる。もう朝食の時間らしい。ブタゴリくんもがんこちゃんも“サウナ済み”だとか。
 なんで起こしてくれなかったのか。今日という朝は二度と来ないのに。僕のサウナを返してくれよ。と心の中で八つ当たりを繰り返すが、朝食がこれまた絶品で、「うめぇ」が負の感情を上書きしていく。うめぇご飯さえあれば人はなんとかなるのかもしれない。

 帰り支度を終える。夏が終わる。
 季節の話ではない。僕のひと夏の思い出だ。
「昭和八年にも津波があって、あそこまで波が来たみたいなの」
 一代さんが指さすほうを見ると、人の背丈よりも少し高いくらいの石碑が民宿のすぐ横に建っていた。1896年の明治三陸地震、1933年の昭和三陸地震、1960年のチリ地震、そして2011年の東日本大震災と、4度も大津波に襲われ、それでも再起してきたのが気仙沼だ。
 石碑の脇を抜け、階段をのぼってみると小さな神社があった。賽銭箱に財布の小銭を全部放り込み、「また来ます」と手を合わせた。
 神社では神様に願い事をするのではなく報告する程度にとどめたほうがいい。そう教えてくれたのは、その分野に詳しいまんきつさんだった。でも、これはただの「また来ます」ではない。僕を含めたこの4人と、一代さんと、この土地がこれからも在り続けますように、との願いを込めた報告だ。神様どうか汲み取ってくれ。僕はまた、ここに来たい。
 ブタゴリくんの車に乗り込むとき、車のナンバーが「37」(サウナ)であると気づく。「気づいてもらえてよかったね」と言うがんこちゃんにブタゴリくんは「自分から言うのは恥ずかしいからね」と笑っていた。助手席に座って窓の外を見ると、一代さんが大漁旗を振りながら「いってらっしゃ~い!」と見送ってくれている。
 いってきます。いってらっしゃい。
 ただいま。おかえりなさい。
 この言葉を言う相手がいることの幸せを忘れないようにしたい。
「ぶっ」
 ブタゴリくんが発車の合図みたいに屁をこいた。

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