かわいいを着る

2022年02月04日

転がり光る石ころみたいに


「また畳のところで寝たの?」
 清掃用具を準備していると土井さんに話しかけられた。顔に畳の跡がついていたらしい。土井さんは細かいところによく気づく。もともとスナックのママをしていただけのことはあるなと感心する。
 スーパー銭湯での浴室清掃は朝五時半に現場入りする。清掃自体は六時から始めればいいのだが、その前に着替えたり清掃用具を準備したりする時間が必要なのだ。そうなると家の最寄駅からは始発に乗っても間に合わず、前乗りしなくてはならない。
 バイト前日は、仕事場まで歩いていけるカプセルホテルの雑魚寝スペースに泊まることにした。安価とはいえバイトで稼ぐ額と同じくらいかかる。後先考えない自分のせいとはいえ、働くためにお金を使うことになるなんて。そんな窮状を主任に漏らすと、「僕がいるときならここに泊まっていいですよ」と仕事場での宿泊許可が下りた。スーパー銭湯の、畳敷きの食事処が僕の寝床になった。
 でも、営業終了後の、空調が止まった館内は凍えるほど寒い。何枚ものサウナマットを体に巻き付けて眠りに堕ちても、寝返りを打つたびに隙間が生まれ、「さむっ」と起きてしまう。橙色のミノムシは目が覚めてはサウナマットを巻き直す。それを繰り返しているといつの間にか朝がやって来る。
 畳の跡がついたこめかみのあたりを指の腹でなぞりながら、土井さんにその寒さを伝えると、「あんたサウナ好きなんでしょ。だったらサウナのなかで寝たらいいじゃん」と笑われた。私だったらそうするけどね、と彼女は親指を立てたあと、パタパタと浴室のほうに去っていった。
 その日の清掃終わりに、主任に今度からサウナ室に泊まっていいか訊いてみた。ストーブが止まっていることと、扉がちゃんと開け放たれていることを確認するのを条件に了承を得た。「あと脱水症状を起こさないように水分を摂ってから寝てください。死なれたら困るので、かはっ」と主任は笑った。僕がサウナ室で干からびている姿でも想像したのだろうか。主任はたまに変なところで笑う。
 こうして僕は今、サウナ室で寝泊りしながら浴室の清掃をしている。

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 二十五時。Tシャツと短パンに着替えて、誰もいない浴室に向かう。サウナ室の扉はすでに夜の清掃係が開け放ち、換気がなされている。ストーブは機械音を立てずに、ただ静かにそこにある。室温計の針は五十度を指し、まだ熱はこもっているけれど、ほかほかと温かくて気持ちいい。
サウナマットを小さく折りたたんで枕にする。寝転んで目をつむると、室内の空気がゆっくりと動いているのがわかる。硬いはずの木の板がなぜかとてもやわらかい。晴れた日の縁側にいるみたいに光のにおいがした。
 そういえば祖父母の家の縁側も、いつも静かに光が射していた。
 祖父母は商店を営んでいた。商店は引き戸を開けると、日用品に駄菓子、カップラーメンや煙草などが所狭しと並んだ店土間がある。暖簾で仕切られた奥に進むと土間続きの台所と風呂場があり、そこから一段高くなったところに板敷の居間があった。板間の南側の障子を開けたところの縁側にはいつも布団が干してあって、僕はその上で昼寝をするのが好きだった。
 トタン屋根は派手に茶色く錆びている。土壁もところどころ骨組みの木舞が見えている。そんなボロい商店ではあったが、祖父母と同じ年くらいのおじいちゃんやおばあちゃんが何を買うでもなく訪れては井戸端会議を開き、僕ら子供たちは親からもらった小遣いを握りしめてお菓子を買った。田舎によくある「なんでも屋」は地域住人の憩いの場として賑わっていた。
「あいつらゴキブリみてえな虫を欲しがっぺよ」
 祖父は夏になると、都会からやって来る客を相手にカブトムシとクワガタを売った。田舎にしては交通量の多い道路に面した商店は、その軒先に自動販売機が10台ずらりと並び、千葉の海やゴルフ場目当ての客が車を停めることも多かった。
 夏休みは祖父に連れられ、虫を仕入れに早朝の山に分け入った。前日に水飴を塗っておいた木にはたくさんの虫が群がっている。蜂の羽音がぶんぶんとこわかったが、祖父は「これがカネのなる木ってやつだっぺ」と虫たちをどんどん鳥かごに詰め込んでいく。夏休みの昆虫採集は学校の宿題であり危険な仕事でもあった。
 一匹百円。カブトムシもクワガタも、オスもメスも、その値段設定だった。祖父は商店の軒先に鳥かごを吊るして、「カブトムシはじめました」と達筆をふるった書初め用紙を扉に貼った。次々と車が停まり、カブトムシやクワガタを買っていく。僕は一匹売れるごとに十円の小遣いをもらった。祖父が「いちばんきれいだべ」と鳥かごに入れたカナブンは一匹も売れなかった。ゴキブリを混ぜようとする祖父の悪戯は僕が止めた。
 酒癖が悪く喧嘩早い祖父は、周りから「変わり者」と呼ばれていた。「道路の真ん中で寝ていたので交番まで迎えに来てください」と警察官から何度も電話があったのを覚えている。「冷たくて気持ちいっぺよ」と弁解する祖父の両目は焦点が合っていなかった。
 でも祖父は、将棋はアマチュアながら六段だったり、持ち前の達筆ぶりで賞状を書く仕事をしていたりと才能に溢れた人だった。決してそれをひけらかしたりもしなかった。
 そんな祖父を、「変わり者で小心者」と評したのは祖母だった。
「今日は変わり者でも明日は小心者かもしれねっぺ。人間なんていろんな面が出たり引っ込んだり、ころころ変わっから面白いっぺよ」
 祖母は体を右に左にと傾けて、「ほら、角度によって顔も違って見えんのと同じだべ」と笑った。
 中学に上がるころ、商店から二キロメートル先にコンビニが出来た。田畑しかない集落においてセブンイレブンは革命に近かった。見る見るうちに客は減っていき、高石商店も潮時ではないかと思ったが、祖父は我関せず営業を続けた。さらに祖母が、何かに憑りつかれたように捨て猫を拾ってきては飼うことを始め、高石商店は猫が常時十匹はいる「猫屋敷」として再び客を集めた。商店にはコンビニにはない猫のぬくもりがあった。本当の変わり者は祖父を好いた祖母だったのかもしれない。
 祖父が死に、追いかけるように祖母も死んで間もなく店は閉じた。ショベルカーが家を壊すとき、木の板がばりばりと痛そうに、悲鳴を上げるように軋んだ。今、商店のあったところは更地のまま放置され、さまざまな雑草が生い茂っている。こんなに小さな土地だったのかと、建物がなくなってからようやく気がついた。

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 ぴぴぴっ、ぴぴぴっと、携帯電話のけたたましいアラーム音で目を覚ます。サウナ室ではいつものように途中で目を覚ますこともなく、ぐっすり眠れた。室温計を見ると三十度まで下がり、扉を開け放ってある出入り口から冬の寒さが侵食し始めている。欠伸をする勢いで伸びをする。木の板の上で寝たというのに背中はまったく痛くない。体の芯までぽかぽかと温かく、すでにスイッチが入っているかのように血は巡り、手足が軽い。
 サウナマットをリネン室に片付けて清掃用具の準備をしていると、「サウナの寝心地どうだった?」と土井さんが話しかけてきた。温かくて気持ち良かったことを伝えると、「でしょう、私はここのこと何でも知ってるの」と彼女は誇らしげに胸を張り、また困ったことあったらなんでも聞いてね、当たりの出るパチンコ台以外は教えてあげるから、と豪快に笑った。今日も仕事が終わったらパチンコ屋に行くらしい。
 土井さんと一緒に、洗い場の椅子を一脚ずつアカスリタオルでこすっていく。椅子にせよ排水溝にせよ、女湯のそれらと比べると男湯の汚れはいちいちしつこい。男の体のほうが汚れているのか、それとも使い方が悪いのか。そんなことを考えていると、ふいに、「ねえ、私と一緒に働くのしんどい? ちょっときつい?」と土井さんに訊かれた。いつもぎゃあぎゃあと小うるさいあの土井さんが急に弱々しい顔を覗かせたことに驚いた。
「そんなことないですよ。急にどうしたんですか」
「いや、このまえ辞めたおっちゃんは私の小言が嫌で辞めたみたいじゃん。良かれと思って言ったことでも嫌な思いをさせちゃってることって、あるんだよね」
 土井さんはこちらを見るでもなく、手元の椅子をくるくる回し、汚れた面を探しながら続ける。
「今さら人に好かれようとか、そういうのはないんだけどさ。でも嫌われたくはないじゃんね。だからさ、あんたは大丈夫かなって心配になったの」
 土井さんを、周りの目なんて気にせず生きている人だと思っていた。繊細さの欠片もないけれど、自由気ままでいいなと慕っていた。でも、勝手に「そういう人」とレッテルを貼ったのは僕だ。目に見えるものしか見ていなかった自分を恥じた。
 人間って本当に多面的なのだ。傾けたらきらりと光る宝石みたいに、人はいろんな側面を持っている。
「なんか変わったよね」と言われることが多い。確かに、五年前の自分、十年前の自分、二十年前の自分と今の自分を比べると同じ人間とは思えない。波風を立てずに穏やかに生きていきたいと思っているけれど、何かトラブルが起きると血が沸騰してわくわくする。周りの人たちを大事にしたいと思っているけれど、近ければ近いほど許せないことが多くて傷つけてしまう。矛盾だらけで整合性なんてとれやしない。
 いつの、どれが本当の自分なのだろう。わからなくて混乱する。ただ、いくら考えてみたって、いつもどれも自分だった。
「僕は土井さんのこと嫌いじゃないですよ」
 人を嫌うところも、そのぶん嫌われているところも面白いと思っています、という言葉を飲み込んで、そう言った。僕もそういうところがあるから「好きです」とは言えなかった。
「そう、ならよかった」と土井さんは洗い終えた椅子をシャワーで流し始める。僕もそれに続く。洗い終えたものをきれいに流す作業は清掃における気持ちいい瞬間のひとつだ。
 最近気づいたことがある。そのとき、そばにいた人によって僕は変わる。彼ら・彼女らの影響を受けて、そのときどきで違う面が前に出る。相手によって新たな面が出来るときもある。
 露天風呂には大小さまざまな歪なかたちの石が積まれている。人は転がる石ころみたいに誰かと出会い、ぶつかりながら面を増やしている。美しさも醜さも、強さも弱さも、そうやって身に着けてきた。そこには表も裏もない。ただただたくさんの面があるだけだ。
「これからもそのままでいてください」
 土井さんのほうを見ず、椅子を撫で、洗剤のぬめりが落ちているか確認しながら、小さな声で言った。
「そういえば、あの坂の下に犬が埋まってるの知ってる?」
 土井さんはまたいつも通り余計な話を始めた。

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takaishimasita at 15:18│清潔な人々 
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